2018年5月25日 (金)

冷たい飲み物といえば

休日に浜辺を歩いた。
天気も良く、絶好の散歩日和。
心地よい風が、強い日差しを和らげ、肌に快感をもたらす。
日頃のストレスが徐々に解消していくのを実感できるほどだった。
青い空、白い雲、海の向こうには離島の姿もくっきり見える。
最高の景色を堪能しながら、1時間半ほど、浜辺を歩いた。
所々、景色の良いところで立ち止まり、その素晴らしい景色をスマホに収めた。
完璧である。
ある一つのことを除けば。
浜辺には、釣りやサーフィンを楽しむ人が多くいたが、その人たちを羨むことなどない。
つらかったのは、酒を飲みながら、バーベキューを楽しんでいる人たちがいたことだった。
天気がよく、気温も高く、湿度も低かったので、喉が異様に乾いた。
それでも、ステンレスボトルにたっぷりの氷を入れて、キンキンに冷えた麦茶を持参していたので、喉の渇きを癒やすことはできた。
できたにはできたが、やはり何かが違う。
なぜなら、暑い屋外で飲む冷えた飲み物といえば、麦茶ではなく麦酒と昔から相場が決まっているからだ。
これは、決まりごとなのだ。
決まっているから、仕方のないことなのだ。
だから、今日ぐらいは飲んでしまおうかと、本気で思ってしまった。
この悪しき先入観、つまりは決まりごとを、どげんかせんといかん。

2018年5月24日 (木)

吾輩は、炭酸水であった

今日で、この家ともお別れである。

冷蔵庫の中に4日間、ゴミ箱で3日間、計1週間の滞在であった。

吾輩は、炭酸水である。(もう空缶だが)

そして今日はゴミの日、ビン・カンの日、お別れの日なのである。

「名前はまだない」と言い続けて、最終的に名無しのままこの家から、おさらばすることになりそうだ。

ご主人様が、吾輩たち炭酸水の空き缶(7缶)などが入っているレジ袋を、ゴミ置き場に持っていったその時、ご主人様から驚きの声があがる。

「げっ、すっげえな、これ。」

ご主人様が目にしたのは、ビン・カンの回収ボックスに入っている、おびただしい量の空のワインボトルとビールの空き缶だった。

ご主人様が持ってきたレジ袋の中には、吾輩たち炭酸水の空き缶のほかには、トマト缶やごま油のビンなど、酒類に関するものは全くなかった。

しかし、既に回収ボックスに入っていたビン・カンは、すべて酒類だったのである。

ご主人様は、そのワインボトルを食い入るように見て、ずいぶんと高そうなワイン飲んでるなあとつぶやいていた。

どうもこれが、ご主人様には刺激が強すぎたようで、回収ボックスから目をそらしながら、吾輩たち炭酸水の空き缶を投げ入れるようにした後、そそくさとその場を立ち去った。

なるほど、空の酒瓶でもご主人様にとっては、目の毒なのだ。

中身が入っていれば、飲酒欲求が湧いてくるのは理解できるが、空缶や空瓶でも刺激されてしまうのか。

意外だったな。

そして、さようなら、ご主人様。

世話になった。

これからも、炭酸水350ml缶を、ひいきによろしく。

2018年5月23日 (水)

依存症でないとすると

酒をやめる直前は、「週末飲酒」というシステムを採用していた。
飲むのは金曜、土曜、日曜のみ。
月曜から木曜までは飲まないというルールである。
なぜ、このシステムを取り入れていたかというと、偏に一度飲み出すと止まらない自分の酒量をコントロールするためだった。
しかし、このような制限を設けても、結局は酒量は減らなかった。
例えば、金曜日に休暇を取得すれば、ルール上は金曜日の昼間から飲むことだってできる。
実際にそうしたこともある。
また、木曜日の深夜12時を過ぎれば金曜日だという理屈で、飲むことも可能だ。
さすがにこれは、実行しなかったが、そのうちやり始めていたかもしれない。
ほかの曜日についてはどうか。
まだ月曜日は、いい。
日曜日にたっぷり飲んでいるので、月曜日の飲酒欲求はない。
火曜日もほぼ大丈夫だ。
水曜日くらいになると飲みたくなるが、ここでも何とか思いとどまる。
問題は、木曜日なのだ。
私の心の中の悪魔が、そろそろ飲みたくなってきただろうとささやき始める。
この、明日は金曜日だから飲めるのに、今日は木曜日だから我慢しなきゃいけないってときが、最もツラかった。
もう頭の中は、酒のことで一杯で、ほかのことは考えられないくらいだった。
断酒して、スリップ(再飲酒)してしまう人の気持ちと似ていたのだと思う。
だが今、酒をやめて2ヶ月以上経つが、この木曜日の心の葛藤が一切なくなっている。
とても不思議だ。
まったく飲まないと決めたことで、平気でいられるのだとすると、やはり私はアルコール依存症ではないのではないか。
だったら酒を解禁して、今までどおり、浴びるように飲んでもいいのではないか。
そのほうが幸せではないか。
いやまだ、2ヶ月。
結論を出すのは、早い。

2018年5月22日 (火)

依存症ではない病気

酒とたばこは、やめようと決断してやめたが、ギャンブルはいつの間にかやめていた。
いや正確に言うと、いつの間にかやめていたと思いこんでいた。
やめようと決断したわけではなかったのだが、はっきりとした理由があったことを思い出した。
それは、株式投資を始めたからだ。
株式投資を始めてから、しばらくは上昇相場が続き、その波に乗って自分の持ち株の時価もぐんぐん増えていった。
もちろん、一本調子で株価が上昇するわけではないのだが、その株価の上げ下げのスリルがたまらなく、グイグイのめり込んでいった。
同時に、競馬やパチンコなどのギャンブルからは徐々に離れていったのである。
株式投資で味わうスリルに比べれば、競馬やパチンコで得られる高揚感など、全然大したことはない。
むしろ、バカバカしく感じたと言っても過言ではない。
ただ見方によっては、株式投資もギャンブルではないかという意見もあろう。
それでも良い。
なぜなら今では、株式投資もやってないからだ。
結局、全てやめている。
なぜ、こうなるのか。
自分でもよくわからないのだが、ひょっとしたら単に飽きっぽいだけなのかもしれない。
そうだ、そうに違いない。
そしてある意味、病気にかかっているのかもしれない。
「依存症」と対極にある「飽きっぽい症候群」いう名の病気に。

2018年5月21日 (月)

ほにゃららなこと

酒をやめて、体調の良化などメリットはたくさんあったが、実はまだ酒をやめた真のメリットを享受していない。

それは、空いた時間の有効活用である。

だらだらとテレビを観ることはしないし、それなりに読書もするのだが、いまひとつ時間の有効活用ができていないと感じている。

何か新しいことに取り組み始めないと、せっかくの空いた時間がもったいないと思い、酒をやめた直後に、「残りの人生においてやっておきたい事柄」を書き出してみたところ、十数項目も出てきた。

意外とたくさんあることに驚くと同時に、酒を飲んでのんべんだらりと過ごし続けていたら、こんなにやりたいことがたくさんあったのに、やらずに後悔していたのかもしれないと思うと、背筋が寒くなった。

良かった。

気づいて良かった。

酒をやめることにして良かった。

これからはやりたいことを思う存分やれるのだから、本当に良かった。

と思いきや、それから2ヶ月を経過しているが、実のところ何ひとつ手をつけていない。

酒をやめてからしばらくは、とにかく飲まないことに気をとられていたのだが、今ではもうそれほど意識しなくても飲まずにいられる。

であるならば、やりたいことに少しずつでも、手をつけられそうなものだが、実際はなかなか思いどおりには運ばない。

酒を飲まなくなったから、こんな「ほにゃららなこと」をするようになったのだと、酒飲みにそれとなく自慢してやりたい。

今のままでは逆に酒飲みに、「酒を飲まないなんて、人生半分損してるようなものだ。」と言われても、返す言葉がない。

くっそーっ。

早く他人に自慢できる「ほにゃららなこと」をするようになり、酒飲みを見返してやりたい。

2018年5月20日 (日)

アルコール差別

世の中には、様々な差別がある。
調べてみると、差別(さべつ)とは「特定の集団や属性に属する個人に対して特別な扱いをする行為である。」と定義されていた。
差別の代表的なものとしては、男女差別、障害者差別、人種差別などがある。
日本に居住する自分にこれらを当てはめてみた場合、差別される側にはいないこともあり、普段はあまり差別に関して意識はしていなかった。
しかし、飲み会の場での以下のようなやり取りなどはどうだろう。
「じゃあ最初の一杯は、みんな生ビールでいいかな。それ以外の人は?」
「ウーロンハイ!」
「ハイボール!」
ここまではいい。
問題は、この後だ。
「あっ、俺ジンジャーエール。」
「えっ、なに、酒飲まないの?何で?」
これは、いただけない。
ズバリこの発言は、アルコール差別である。
酒を飲まない人間は、人間にあらずと言わんばかりのこの発言。
許されざるべき発言である。
差別というのは、「特定の個人に対し特別な扱いをする行為」というよりは、「多数派が少数派を排除しようとする行為」と言ったほうがわかりやすい気がする。
飲む多数派が、飲まない少数派を卑下し、排除し、自分たちを正当化しているのだ。
まったく許せない。
ただの酒飲みのくせに!
アルハラ反対!!

2018年5月19日 (土)

何の準備もなく

たばこを吸い始めた理由を思い起こしてみた。

トントントンとパッケージの上部を人差し指で軽く叩き、2、3本浮き上がってきたうちの1本をスッと箱から取り出して、口にくわえる。

百円ライターの「シュボッ」という点火音とともに、強めの炎でたばこに火をつける。

単純にそれが、かっこいいと感じていた。

同時に、たばこの煙を肺の中にとり込んだ時の、胸に「どーん」とくる感じが何ともいえなかった。

決して心地よいと感じていたわけではなかったが、それが大人の仲間入りの証のような気がしていたのだ。

いま思うと、たばこの味が好きだったからというのではなく、たばこを吸っている自分がかっこいいと思い込んでいたから、吸い続けていたのだと分析する。

たばこを吸い続けているうちに、吸い始めた頃に思い込んでいたかっこいいとう思いは消え去っていたのだが、たばこをやめるきっかけもつかめず、惰性で吸い続けていたというのが、実際のところだ。

だから、たばこをやめようと思い立ったときに、スパッとやめることができたのだろう。

一方、酒はやめるタイミングをうかがっていたわけではない。

むしろ、決意は唐突だった。

まったく、何の準備も整えていない状態で、思い切って決断をした。

決断をしてから、やめた後のことを考え始めたというのが、本当のところだ。

酒を飲まない日々になってから、アルコール依存症に関する書籍を読んでみたり、酒を飲まない人が書いているブログを読んでみたり。

血圧が正常範囲内に収まるなど、酒を飲まないことが体調面に好影響を及ぼすことも、後になってから知ったほどだ。

つまり、色々と情報を収集して、酒を飲まないことのメリットを知識として得てから、理詰めで酒を飲まなくなったわけではないのである。

ひょっとすると、酒をやめても悲愴感にかられていないのは、何の準備も整えないで始めたらかもしれない。

意外と、準備万端に整えるっていうのは良くないのかもよ。

2018年5月18日 (金)

ゴールがあれば

酒をやめて、2ヶ月が経過した。

今のところは、飲酒欲求が湧いてこないが、この先のことはわからない。

多くの人が節目だという、3ヶ月、1年という期間を経たところで、どのような精神状態になっているかにもよるだろう。

その時はひょっとしたら、飲みたくてたまらない気持を、毎日必死になって耐えているかもしれない。

一般的に、何らかの欲求を抑えるときには、必ずといっていいほど、目標つまりゴールを目指して頑張るものだ。

学校でつまらない授業を受けているとき、あと5分で休み時間になるとか。

平日は仕事がキツいけど、木曜日まできたので、あと1日で週末が訪れるとか。

満員電車に揺られてつらいとき、あと2駅で降りる駅に着くとか。

午前中に腹が減ってきたけど、11時半になったので、あと30分で昼飯にありつけるとか。

下痢気味で腹が痛いのを我慢していたが、もう少しで、トイレにかけこめるとか。

このように、目指す先に状況を一変させてくれるような何かが待っていてくれるからこそ、頑張って耐えることができるのだ。

休み時間、週末、降りる駅、昼飯、トイレ、これらはすべて目標であり、ゴールというわけだ。

一方、今の酒をやめた状態の先には、特にゴールを設定していない。

酒を一定期間やめたら、飲酒を再開すると決めているわけではないのである。

だからもし、飲みたい気持ちが湧いてきたら、そのときにゴールを設定しなければならなくなるのかもしれない。

もう二度と飲まないで、一生を終えたいが、まだ酒をやめて2ヶ月。

酒を35年間も飲んでいたのだから、それから比べても2ヶ月というのは、ほんの一瞬にすぎない。

だから、今のところゴールは必要ないっちゅうことで。

2018年5月17日 (木)

解決できない悩み

ボクの悩みを聞いてくれますか?
その前に、ボクが誰だか当ててみてよ。
さすがに、ノーヒントじゃわからないよね。
じゃあまず、第一ヒント。
缶に入っています。
えっ、サバの缶詰めか何かだろうって?
ブッブー!違いまあす。
それでは、第二ヒント。
シュワシュワーってなります。
はい、何でしょう。
えっ、炭酸水350ml君だろうって?
惜しい、惜しいけど違います。
ええ、第三ヒントいきます。
もうこれで、わからなかったら知らないからね。
琥珀色の液体で、泡がとってもクリーミーな飲み物と言えば?
そう!
缶ビール350ml君でしたあ!
え、何ですか?
自分で自分に君をつけるなって?
まあまあ、堅いこと言いっこなしですよ。
で、悩みというのはですね、ここ2ヶ月の間、ずっと食器棚の奥に仕舞われっぱなしってことなんだよね。
隣にいたウィスキー君は、しばらく前に流しの排水口に流されちゃったんだけど、ボクのことは2ヶ月間完全な放置プレーでさ。
ご主人様は、ボクの存在を忘れ去ってるみたいなんだ。
この頃は暑くて、常温保存されているのも、結構キツいんだよね。
早く冷蔵庫に入って、キンキンに冷やされたいなあ。
そして、ご主人様の喉を潤したいなあ。
でも、今のこのままの感じじゃあ、飲んでくれそうもないなあ。

2018年5月16日 (水)

禁酒法の裏側には

かつて、禁酒法というのが存在していたはずだと思い、調べてみた。
そこには、こう書いてあった。
アメリカ合衆国における禁酒法は、1920年から1933年までアメリカ合衆国憲法下において施行され、消費のためのアルコールの製造、販売、輸送が全面的に禁止された法律である。
なるほど、今から百年ほど前の法律だったのだな。
しかし、この法律が施行される背景には何があったのだろう。
それを調べる前に、まずちょっと自分で推理を楽しんでみよう。
酒の製造、販売、輸送を禁ずるということは、当たり前だが国民に酒を飲ませてはいけないという法律となる。
これの意味するところは、何だろう。
国民が酒を飲むことが国の不利益につながると考えたということか。
国の不利益つまり、国力が衰退し、他国より劣ってしまう危険を感じたとか。
ではなぜ、国力が衰退してしまうのか。
それは酒が国民の働く意欲を奪い、経済活動を停滞させてしまうと考えたからだろうか。
しかし皆が皆、酒を飲みすぎて勤労できなくなる事態に発展するとは考えにくい。
それとも酒が原因で、何か大きな事件が発生したとか。
例えば、飲酒運転の事故が処理不能なくらい多く発生し、手に負えなくなった。
仕方がないので、万人が酒を飲めない世の中にしてしまった。
だがそれでは、飲酒はするが車の運転はしないという人たちから、猛反発を食らいそうだ。
そもそも法律を制定するためには、議会で可決しなければならないはずである。
そうなると、過半数の議員がこの禁酒法に賛成したことになるが、これは余程のことだったはずだ。
さらにだ。
わずか13年で、この法律は消滅している。
なぜだ、結局のところ、この法律は失敗だったということか。
うーん、わからないことだらけだ。
やむを得ん。
我慢しないで、ググってみよう。

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