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2013年11月27日 (水)

三十分間の幸せ

日曜日の午後6時半は、日本の多くの家庭において、「サザエさん」を観ている時間だろう。
我が家も食卓を囲みながら、「サザエさん」を観ている。

子どもたちは、箸を動かす手が止まるくらい、「サザエさん」に没頭する。
確かに「サザエさん」は面白い。
しかし、私はちょっと違う。
「サザエさん」に没頭はしないのだ。

私は、「サザエさん」に見入ってる子どもたちの顔を見ている。
それにより、平和を感じているのである。
明日からまた、仕事や学校が始まる。
緊張と忍耐を強いられる苦悩の日々だ。
だが、今この瞬間だけは、平和が保たれている。

そう考えると、この三十分間が、かけがえのない素晴らしい時間に思えてくる。
もしかしたら、そのように思っている日本人は、少なくないのではないか。
「サザエさん」のエンディングが流れると途端に憂鬱になる人が多いというのも、その辺りによるものなのかもしれない。

番組の最後に、サザエさんが「グー」を出す。
「パー」を出した小5の娘は勝ったと喜び、「チョキ」を出した小3の息子は負けたとしょげるものの、

「でも、おねえちゃんには勝った。」

じゃんけんの結果に、一喜一憂する子どもたち。
平和である。

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2013年11月22日 (金)

3個のクッキー

手紙が添えられて、3個のクッキーがテーブルの上に載っている。
小3の息子が、学童クラブで手作りしたのだという。

「おかあさん、まい日おいしいごはんを作ってくれてありがとう。お父さん、いつもキャッチボールにつきあってくれて、ありがとう。」

なるほど、日頃のお礼にというわけだな。
だけど、なぜクッキーが3個と奇数なのだ。
親は二人だというのに。

「けんかさせようと思って。」

あのなあ。
そんなもんで、大のおとなが喧嘩するわけがなかろう。
それにしてもこのクッキー、とても綺麗に仕上がっているぞ。
小さなチョコレートを規則正しく、ていねいにトッピングしている。
時間をかけて作ったことが、よくわかる。

しかしだ。
食べてしまうとなくなるのは、あっという間なんだ。
クッキーなんざ、口に放り込めば、おしまいだ。
おかあさんが時間をかけて作った食事も、食べるのはあっという間だろう。

「だからね、ボクは朝ごはんをゆっくり時間をかけて、食べてるんだよ。」

いや、だからといって朝食に1時間近くかけるのは、やめてくれないか。
朝は忙しいんだ。
食器を洗う担当の身にもなってくれ。

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2013年11月17日 (日)

事態を打開せよ

何とかしなければいけないと思っていた。
日曜日の午後に、ずっとテレビを観ている小3の息子のことだ。
彼の観ている番組は、競馬とゴルフときている。
これでは、中年のおっさんである。

これまで彼は、何ひとつ習い事をしてこなかった。
本人がまったくその気にならなかったからというのが、一番の理由ではある。
しかし、あり余る時間を彼から奪わないと、この悪しき状況から脱することは望めない。
何とかこの事態を打開したいと思いあぐねていたところ、彼のほうから野球をやりたいと言い出したのだ。

渡りに舟とは、このことである。
地元の少年野球チームの練習は、土曜日と日曜日。
何としてでも、入部させよう。
鉄は熱いうちに打てだ。

早速、体験入部をさせると、楽しいから続けたいと言い出した。
よし!
これで、中年のおっさん生活とも、おさらばだ。

「行ってきまあす。」

日曜日、小3の息子が練習に出かけていった。
野球の練習は半日で、日曜日の今日は午前8時から昼の12時までだ。

ん?
あれ?
午前中の練習ってことは……。

け、競馬とゴルフが観られるではないかあああああ!

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2013年11月11日 (月)

昔ばなし

むかしむかし、あるところに、おじいさんとおばあさんが住んでいました。

昔ばなしの出だしは、大抵こうだ。
この始まり方には、何の違和感もない。
例えるなら、館内放送でアナウンスが始まる前に、「ピンポンパンポーン」と鳴るチャイムのようでもある。

小3の息子が、昔ばなしを書いたから読んでくれという。
何だって?どれどれ。

「おじいさんは、しししししししししししししししに行きました。」

私は、大きな声で感情をこめて、書いてある通りに読み上げた。
すると息子は、そうじゃないよと小バカにしたような感じで言う。
そうじゃないって言ったって、そう書いてあるじゃないか。

「だからね、これはなぞなぞなの。」

なぞなぞだと?
「し」がいくつもあって、それが何かを示しているとでもいうのか。
「し」がたくさん、「し」がいっぱい、「し」が続く、「し」の行列……。
うーん、全くわからん。
降参だ、答えは何だ。

「しばっかりでしょ。だから、おじいさんは、しばかりに行きましただよ。」

はあん、なるほどね。
まあまあの出来だな。
で、誰に教わったんだ?

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2013年11月 8日 (金)

アメをなめれば

「質問があるんだけど。」

朝の忙しい時間帯に、小3の息子が話しかけてくる。
うーん、忙しいんだけどなあ。
だけど何だ、急ぎの質問か。
言ってみろ。

「アメってさ、食べるアメね。普通になめてるより、噛んで小さくしたほうが早くなくなるじゃん、何で?」

思った通り、不要不急の質問だ。
だが、まあよい。
答えてやろう。

仮にアメを半分にしたとするな。
そうすると、今までなかった面、断面ができるわけだ。
すると、そこもなめることになるから、最初の半分になる前のアメより、なめる部分が増えるだろう。
だから、溶けてなくなるのが早くなるんだ。

「そうか、わかりやすい。だから粉々に噛んだら、すんごく早くなくなるもんね。」

息子が目を輝かせながら言う。
理科の授業で、新しい事を教わったときのような表情だ。
どうだ、説明が上手だっただろう。

「すごくわかりやすいよ。でさあ、これって、誰に教わった?」

あのなあ。
アメを噛んだら何で早くなくなるのかって、大のおとなが他人に訊くわけないだろう。
これまでの人生の経験と知識で、答えたんだよ!

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2013年11月 4日 (月)

イソップを考える

「おまえが落としたのは、このおのか。」

「それです、それです。それが私の落としたおのです。」

そのとたん、神様は川の中へ消え、もう二度と姿を現しませんでした。
欲張りの木こりは、金のおのどころか、自分の大切なおのまでなくしてしまいました。

イソップの童話は、このように欲張りを戒める話が多い。
その中でもこの話は、典型的なイソップの童話として広く知られている。

しかし私は、かねてからこの話に、少々疑問を感じていた。
神様の行動にである。
つまりなぜ、木こりに鉄のおのを返さなかったのかという点だ。
結果として、勝手に人の物を持っていってしまってるではないか。
神様には、鉄のおのの持ち主がわかっている。
にもかかわらず、持ち主が目の前にいても、本人に返さず持ち帰ってしまう。

これは道徳的に問題があるし、れっきとした犯罪なのだ。
「ただの欲張り」と「れっきとした犯罪」では、どちらが悪いかは明白である。
いかに神様といえども、このような暴挙が許されるはずがない。

小3の息子に、この疑問をぶつけてみたが、同意が得られなかった。

「神様には、神様の考えがあるんだよ。」

いや、神様だからといって、何でもありというのはおかしい。

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