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2014年1月24日 (金)

音読なるもの

今の小学生の宿題に、音読というのがある。
私の子どもの頃には、そんなものはなかった。
また私は、宿題で音読をするということについて、どうも違和感を覚えるのだ。
子どもたちにどういう効果が見込めるというのか。

表現力を身につけられるとか。
しかし、たかが音読で、そんなものが身につくのであろうか。
小3の息子のいかにもやる気の無さそうな音読を聴いていると、決してそうは思えない。
長いこと音読を続けているにもかかわらず、いまだにまったくの棒読みだ。

親が音読を聴いてやった後、音読カードにサインをする。
これを毎日続けていると、音読カードにサインする欄が無くなる。
そうなると、新しい音読カードを先生からもらってくるのだが、彼は例によってそれを忘れてくる。

カードをもらってくるのを忘れたからといって、音読をやらなくていいわけではないぞ。
音読をしても、カードにサインがなければ、学校では宿題をやらなかったとみなされる。
カードをもらってくるのを忘れた罰だ。
当たり前だ。
そうじゃなかったら、カードを忘れてくれば、音読しなくていいことになるだろう。

「なるほど、その手があったか。」と彼の顔の表情から読み取れたのは、気のせいではなかろう。

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