2014年10月 4日 (土)

学校公開日

小学校に、小4の息子が受けている授業を見に行った。
道徳の授業だった。
人の欠点をあげつらうのではなく、その人のいい所を見つけることが大事だ、ということを学ぶ授業内容だった。

先生が紙を配る。
その紙に自分の名前を書いておく。
そうしたら席を移動して、ほかの人の紙にその人の良い所を書く。
いろんな人が様々なほめ言葉を書くという趣向だ。
彼も自分の名前を紙に書いた後、席を移動してほかの人の紙にその人の良い所を書いていた。

しばらくして彼が席に戻ると、7名からコメントが寄せられていた。
その7名のコメントのうち、6名が「おもしろいところ」と書いていた。
いいじゃないか。
おもしろいところがいいなんて、最高のほめ言葉じゃないか。

でもな。
お前は、まだもっともっとおもしろくなれる。
こんなもんで満足してちゃダメだ。
そう言うと、彼はきょとんとしている。
まるで、おもしろいことはそれほど重要じゃないとでも言わんばかりだ。

ほう、上等じゃねえか。
おもしろくて何が悪い。

あのなあ。
社会生活を営む上で、大切なのが道徳だとすると、「笑い」は立派な道徳なんだぞ!!

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2014年2月19日 (水)

言われてやなこと

「自分が言われてやなことは、言っちゃいけないんでしょ。」

おっ、今日はまともなことを言うじゃないか。
そうだよ、そのとおりだ、小3の息子よ。

「先生もさあ、そう言うんだよねえ。」

いいんじゃないか。
先生だって、そう言うだろうよ。

「でもさ、自分が言われてやなことは言っちゃいけないって、ひとから言われるのがやなんだけど。」

なんだ、なんだ。
ちょいと風向きが、おかしくなってきたぞ。
それじゃあ、何か。
自分が言われてやなことは言っちゃいけない、と言われてやな気持ちになるのだから、自分が言われてやなことは言っちゃいけないと他人に対して言っちゃいけない。
そういうことを言いたいというわけか。
ややこしいが、言わんとしている事は、わからんでもない。

「そうだよ、先生が言ってることがおかしいんだよ。」

はあ。
まあ、一理あるといえばあるが。
ならば先生に、そう言ってみる勇気があるかと訊くと、あるよという。

「だって、先生はけっこう冗談が通じるもん。」

ほな、やってみなはれ。
結果が楽しみだ。

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2014年1月28日 (火)

院という漢字

学校で習った漢字を使って、文・言葉を3つ書くという宿題がある。
小3の息子に出る宿題だ。
今日の漢字は、「院」。
ただし小学校3年生だと、「院」という漢字にはあまりなじみがないはず。
故に、3つの文・言葉といっても、なかなか思いつかないのではなかろうか。

ああ、国会があったなあ。
例えば「衆議院議員の選挙」、「参議院議員の任期は6年」、「日本の国会は二院制」などだ。
でもこれは、小3じゃあ習ってないだろうから、ちょっと厳しいか。

すると小5の娘が、うまいのを見つけた。
「病院に行く」、「骨折で入院する」、「治って退院する」の3つ。
いいじゃん、それでいいよ。
息子よ、パクってしまえ。

ところが息子は、パクらなかった。
彼は自らの頭を使い、答えをひねり出したのだ。
そのことは褒めてやりたい。
しかし、問題はその中身だ。

「青山学院大学の先生」
「山梨学院大学に入る」
「中央学院大学の場所」

いいですよ、いいですけどね。
でも、どうしてすべて箱根駅伝の出場校なのよ。
まあ、君らしいといえば君らしいんだが。

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2014年1月24日 (金)

音読なるもの

今の小学生の宿題に、音読というのがある。
私の子どもの頃には、そんなものはなかった。
また私は、宿題で音読をするということについて、どうも違和感を覚えるのだ。
子どもたちにどういう効果が見込めるというのか。

表現力を身につけられるとか。
しかし、たかが音読で、そんなものが身につくのであろうか。
小3の息子のいかにもやる気の無さそうな音読を聴いていると、決してそうは思えない。
長いこと音読を続けているにもかかわらず、いまだにまったくの棒読みだ。

親が音読を聴いてやった後、音読カードにサインをする。
これを毎日続けていると、音読カードにサインする欄が無くなる。
そうなると、新しい音読カードを先生からもらってくるのだが、彼は例によってそれを忘れてくる。

カードをもらってくるのを忘れたからといって、音読をやらなくていいわけではないぞ。
音読をしても、カードにサインがなければ、学校では宿題をやらなかったとみなされる。
カードをもらってくるのを忘れた罰だ。
当たり前だ。
そうじゃなかったら、カードを忘れてくれば、音読しなくていいことになるだろう。

「なるほど、その手があったか。」と彼の顔の表情から読み取れたのは、気のせいではなかろう。

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2013年12月20日 (金)

ゴムの働き

小学校3年生の息子の理科の授業で、【ゴムのはたらき】というテーマでの実験があったらしい。
班ごとに分かれて、実際に輪ゴムを使って物を飛ばし、その飛んだ距離を測定するというものだ。

輪ゴムの本数を増やしたり、輪ゴムを伸ばす長さを変化させたりして、飛距離がどう変わるか。
その変化を通じて、【ゴムのはたらき】を学ぶという狙いだ。

普通に考えれば、ゴム本数を増やして強力にしたり、輪ゴムを長く伸ばせば、飛距離が伸びるはずである。
しかし実際には、なかなか机上の計算どおりにはいかない。
ゴムを放すタイミングが、その時々でまちまちだったりして、思いどおりの結果が得られなかったらしい。
それでも実験後のレポートには実験の結果、明らかになったことを書かなければならない。

うまくいかなかったとしても、なぜうまくいかなかったか。
うまくいけば、こういう結果が得られていたはずだとか、そういうことをレポートに書くのが普通だ。
しかし、小3の息子は、そうは書かなかった。

【ゴムのはたらき】
(実けんによって、わかったこと)

「運によって、かわる。」

素直なのか、ウケ狙いなのか。
そこのところが、いまひとつ不明だ。

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2013年12月 3日 (火)

物差し

「このモノサシさあ、何cmあると思う?」

小3の息子がプラスチック製の物差しを振りかざしながら、訊いてくる。
内側を日本列島の形にくりぬいた洒落た物差しだ。
彼のお気に入りの品でもある。

それが、何cmの物差しかっていうのか。
パッと見たところ、30cm物差しの半分ぐらいだな。
だから、15cm物差しじゃないか!

「惜しい。正解は16cm!」

あん?
16cm物差しだと?
何か、中途半端だなあ。
18cmとかならありそうだが。

どれ、見せてみろ。
何だよ、やっぱり15cm物差しじゃないか。
16cmじゃなくて15cmだろうが。
目ん玉をひんむいて、よく見てみろ。
しかし彼は、平然とこう言い放った。

「ほら見て、目盛りの外側に5mmの幅があるでしょ。それが両側にあるから、目盛りの15cmとあわせて全部で16cm。16cmのモノサシだよ。」

あのなあ。
物差しというのはだぞ。
物差しそのものの長さじゃなくて、その物差しが測れる長さで表すんだ。
「16cmのモノサシ」じゃなくて、「15cmモノサシ」だ。
「の」は不要だ。

私の説明に、納得がいかない様子の息子。
君のそのひねくれ度を測る物差しは、ないものか。

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2013年11月 8日 (金)

アメをなめれば

「質問があるんだけど。」

朝の忙しい時間帯に、小3の息子が話しかけてくる。
うーん、忙しいんだけどなあ。
だけど何だ、急ぎの質問か。
言ってみろ。

「アメってさ、食べるアメね。普通になめてるより、噛んで小さくしたほうが早くなくなるじゃん、何で?」

思った通り、不要不急の質問だ。
だが、まあよい。
答えてやろう。

仮にアメを半分にしたとするな。
そうすると、今までなかった面、断面ができるわけだ。
すると、そこもなめることになるから、最初の半分になる前のアメより、なめる部分が増えるだろう。
だから、溶けてなくなるのが早くなるんだ。

「そうか、わかりやすい。だから粉々に噛んだら、すんごく早くなくなるもんね。」

息子が目を輝かせながら言う。
理科の授業で、新しい事を教わったときのような表情だ。
どうだ、説明が上手だっただろう。

「すごくわかりやすいよ。でさあ、これって、誰に教わった?」

あのなあ。
アメを噛んだら何で早くなくなるのかって、大のおとなが他人に訊くわけないだろう。
これまでの人生の経験と知識で、答えたんだよ!

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2013年10月12日 (土)

水筒を忘れてくるな

小学校に通う子どもたちは、5月から10月くらいまで、登校時に水筒を持参する。
以前に比べて、こまめな水分補給の重要性が叫ばれていることと、学校設備の老朽化による水道配管の腐食が進んでいることなどが理由かもしれない。

勘のよい方は、お気づきだろう。
その水筒を学校に忘れてくるアホが、我が家には一人いる。
小3の息子である。
それも、一度や二度ではない。

彼は毎日、放課後は学校の敷地内にある学童クラブに行き、夕方の5時半頃に帰宅する。
最近では日が短くなってきたので、夕方の5時半といえばもう暗い。
彼が帰り際に、校舎を見上げると、彼のクラスの教室に灯りがともっていたという。
先生が遅くまで、残って仕事をしてるんだな。
来月には、学芸会も控えているしな。

「担任の先生だけじゃなくて、両隣のクラスの先生もいて、3人いたよ。」

そうか、じゃあ複数の先生方が協力して、何か作業しているんだ。
ん?
ちょっと待てよ。
君のクラスは、たしか2階だったよな。
なんで、中の様子がわかったんだ。
ひょっとして、お前・・・。

「ああ、水筒を忘れたのを思い出したから、教室に取りに戻ったんだ。」

そうか、よく気がついたな。
と言っていいのか、微妙なケースだ。

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2013年10月 2日 (水)

5年後に備えよ

小3の息子が通う学童クラブに、中学2年生の生徒が4人、職場体験で訪れたという。
その中のひとりに、我が家の近くに住む男子生徒がいた。
彼はよく知っている顔で、彼がまだ小さい頃にはキャッチボールなどをして、遊んであげたものだ。

しかし中2ともなると、すっかり大人の雰囲気で、小さかった頃の無邪気な面影はない。
おまけに、大人の指導員に交じって、学童に通う小学校低学年を相手にするのだから、大したものだ。
職場体験後の感想も、しっかり書けていた。

「この職場体験で培った経験を、将来の進路につなげていきたい。」

培った(つちかった)経験を、などという言葉がすっと出てくるあたりは、さすがだ。
中学生はもう、立派な大人なのかもしれない。
いや、違う。
みんながそうなっていくとは、限らない。
小学校時代を漫然と過ごしていては、そうはならない。

我が家の5年後の中学2年生は、いま何をしているのかと見てみる。
息子はテレビに向かって、リモコンを操作していた。
録画予約だな、何の番組だ。
ポケモンか、バラエティ番組か。

が、凱旋門賞?
ああ、日曜日の午後11時からだから録画しているのか。
なるほどな。

あっ、いや、漫然と過ごしているぞ、小3の息子よ!

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2013年9月24日 (火)

はじめてのザリガニ

「あっ、いた。いるいる、あそこ。」

小3の息子は、かなり視力がいい。
池の中にいるザリガニを目ざとく見つける。
彼が指し示す方向を見ると、確かにザリガニがいる。
こっちも目を凝らして水面を眺めていたのだが、彼のザリガニを見つける素早さにはかなわない。

何度目かの「あっ、いた。いるいる、あそこ。」は、我々の立っているところのほぼ真下だった。
私が、用意してきたサキイカを結わえたタコ糸を水面に垂らそうとした、そのときである。
彼がザリガニの尻尾の側から、そっと網を池にいれ、ザリガニの頭のほうを棒きれで、つついた。
ザリガニ釣りに来たというのに、ずいぶん雑なことをするもんだ、と思った瞬間、

「よし、捕れた!!」

何と彼は、生涯初めてのザリガニ捕獲を、そんなやり方で成し遂げてしまった。
しかも、大ぶりの真っ赤なザリガニである。
すごい、大したもんだなあと褒めると、

「だってさ、ザリガニのかいかた、そだてかたの本に書いてあったもん。」

ほう、あの本をちゃんと読んでたんだ。
しかも、本に書いてあることを実践してしまうとは、恐れいった。
なかなか、できることではない。
いいぞ、その調子だ。

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